59歳、リュックひとつで“本当のひとり旅”へ。─ さよならを胸に、わたしのセンチメンタルジャーニー

「もしもの時は、メルボルンへ行こう」

そう決めていたのは、何年も前のこと。

その“もしも”とは、愛犬とのお別れ。

19年間、何回「かわいい!」を口にして、
何回あのモフモフに触れ、撫で、顔をうずめたことか。

家のあちこちに残る小さな痕跡。
使わなくなったベッドやフードも捨てられない。
最後に使っていたブランケットも洗えないまま。

なぜここに、あの子はいないのかしら?

そんなことを思う毎日。

この旅の目的は、“チル”と“癒し”
そして、愛犬との別れから少しずつ自分を取り戻すこと。

この旅は、そんな自分の「心の整理」のための、
センチメンタルジャーニーです。

目次

初めての【完全なひとり海外旅】、メルボルンへ

ひとり旅は、これまでも何度か経験している。
国内なら、沖縄ですら日帰りで行ってしまうほどの行動派だ。

でも、海外は──いつも「現地集合・現地解散」の旅ばかり。
行き帰りこそ一人でも、現地では誰かと一緒に過ごすのが常だった。

今回の旅は違う。
最初から最後まで、観光も、食事も、全部ひとり。

完全なる“ソロ旅”。それが、はじめてだった。

世界で最も美しい図書館

憧れていた、“暮らすような旅”。でも、ちょっと…寂しい?

今回泊まったのは、キッチンも洗濯機も揃ったアパートメントタイプのホテル。
「旅、というより暮らしたい」──そんな今の気分には、ぴったりだった。

ただ、チェックインして、ひと息ついた瞬間。
ふと、こんな言葉がこぼれた。

「……あれ? 本当にひとりで来ちゃった?
  ていうか、これ…けっこう寂しいかも?」

でもまあ、59年生きてきた図太さの成せる業か──
部屋のルームツアーなんかしてるうちに、気づけば普通に馴染んでいた。

暮らすような旅だから愛犬の写真を飾る

リュックからそっと取り出したのは、愛犬の写真。
テーブルの上にちょこんと飾って、なんとなく「一緒に来た風」を演出する。
「一緒に来れたね」──なんて、写真に向かって話しかけてみたりして。

旅の目的は「チル」だったはずなのに…

この旅の目的は、あくまで「チル」。

メルボルンのカフェで本を読んだり、
公園を散歩したり、ただ座って、ぼーっとしたり。
予定は最低限。お目当てのカフェが数軒あれば、それで十分──
…の、はずだった。

なのに気づけば、私はトラムに揺られている。
あっちの街角、こっちの路地。
「おや?これは完全に“活歩”では?」

本当は、公園でコーヒー片手に、愛犬のことを思い出して、
静かにチルしてる予定だったんじゃ…?

「チルしろ! 自分!」

「もう一駅だけ行ってみよう」
「なんだかこの路地、呼ばれてる気がする」
──そんなふうに、予定外の誘惑に弱いタイプである。

普段は、ぐうたらのくせに。
旅先では、どうしても、じっとしていられない。

そのギャップを、なんとかしたいとは思っている。
…一応、ね。


チルが上手なメルボニアン

ひとりの快適さと、旅のなかの小さなご縁。

少しだけ寂しさを感じたのは、旅の始まりだけだった。
そこを過ぎれば、ひとり旅の心地よさしか残らない。

どこへ行くにも、誰に遠慮もいらない。
行くも戻るも、すべて自分のタイミングで決められる。
その自由さが、ひとり旅の醍醐味だ。

メルボルンでどうしても参加したかったツアーがひとつあった。
それだけは、日本にいるうちに予約しておいた。

フィリップ島ペンギンパレードツアー

当日は、日本人ばかりの小さなグループ。
自己紹介から始まり、すぐにちょっとした連帯感が生まれた。

その中でも特に意気投合したのは、
留学中の息子さんを訪ねてきていた日本人のお母様。

「わかる〜」「あるある〜(笑)」
まるで旧知の友人のように話が弾んで、
気づけば、互いの夫の愚痴で盛り上がっていた。

「あの〜、コメントに困るんだけど(笑)」
息子さんの苦笑いも、ちょっとした名シーン。

こういう偶然の出会いも、ひとり旅だからこそ。
誰かと一緒だったら通り過ぎていたかもしれない一瞬が、
静かに、でも深く、心に残っていく。

癒されたような、泣きたくなったような。

旅の終盤。
メルボルンの空気にもすっかり慣れて、
暮らすように、流れるように街を歩く。

カフェに入るたび、ふと「今、旅してる自分、悪くないかも」なんて
ちょっとだけ酔ってみたりして。

部屋に戻れば、テーブルの上には愛犬の写真。
「今日は川沿いを歩いたよ」「おしゃれなカフェも行ったね」
そんなひとりごとをつぶやくのが、いつのまにか日課になっていた。

でも──
帰りの飛行機で、急に現実に引き戻される。

「もう、帰っても…玄関であの子は待ってないんだな」

その瞬間、涙があふれた。

19年という時間は、思っていたよりずっと深く、重い。
それだけ、彼女が私の暮らしの一部だったということ。
言葉にできないほど、大きな存在だったということ。

でも私は、もう知ってしまった。
“旅”が、少しずつ自分を癒してくれることを。

だから思う。
また、出かけなきゃ。

「帰るまでが遠足です」なんてルール、私には通用しない。
旅は、きっと、次の旅へと続いているのだ。


旅のあとにやってくる、“反省と復習”

これはもう、旅の終わりの恒例行事。
帰宅して落ち着いた頃に、なぜか始まる──
「YouTube検索タイム」。

「メルボルン カフェ おすすめ」
「ひとり旅 モーニング」「メルボルン街歩き」……
必死で検索する私。

……って、

「それ、行く前に調べとこうよ」

と、自分に静かにツッコミを入れる。

でもこれは、私なりの“旅の復習”。
いや、次の旅のための宿題チェックなのだ(たぶん)。

実際に反映されているかは謎だけれど──
旅のことを考えている時間って、やっぱりご機嫌な時間。

予定通りじゃなくたって、旅はいつだって自由研究。
行ってから調べるのも、私らしさということにしておこう。

最後に──「ひとり旅、やみつきになったかも」

旅は、脳トレ。
チルしたい。でも、好奇心がすぐ走り出す。

このブログのテーマそのままの旅だった。
いや、むしろ“体現”した旅だった気がする。

ずっと憧れていた、海外ひとり旅。
実際にやってみたら──
自由で、心地よくて、思っていたよりずっと優しかった。

これは、きっと、やみつきになる。

まだまだ、旅はこれから。
次こそは、もう少しチルできるように。
もう少し、“旅上手”になれたらいいな。

読んでくださって、ありがとうございます。

もし、どこかで──
「チルしたいのに、また動いちゃう人」と出会えたなら、
それは、きっと小さな旅のご縁。
そんなつながりを、ここから少しずつ広げていけたらうれしいです。

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